“面白の亀崎や”『亀崎の海』
『亀崎の海』 千鳥友よぶ知多の海 隔てゝ向ふ薄墨の 三河の山に月出でゝ 寄来る波の白銀の ふちとらせゆく洲崎の磯 面白の夕やな 湾の入口左右より いだく師崎いらこ崎 いすかの嘴のくひちがひ 間に白帆を三つ五つ 見つゝ歌ひし高根山 面白のけしきやな 松の木の間に紅の 鏡をかくる日は出でて 海に賑ふいざり舟 漕ぎゆく声も勇ましく 眺め渡しは県社の杜 面白のあたりやな ...
『亀崎の海』 千鳥友よぶ知多の海 隔てゝ向ふ薄墨の 三河の山に月出でゝ 寄来る波の白銀の ふちとらせゆく洲崎の磯 面白の夕やな 湾の入口左右より いだく師崎いらこ崎 いすかの嘴のくひちがひ 間に白帆を三つ五つ 見つゝ歌ひし高根山 面白のけしきやな 松の木の間に紅の 鏡をかくる日は出でて 海に賑ふいざり舟 漕ぎゆく声も勇ましく 眺め渡しは県社の杜 面白のあたりやな ...
JR半田駅から東へ向かい、右手にミツカン本社を、左手に魚太郎 蔵の町店を見ながら進むと、半田運河にかかった大きな橋「源兵衛橋(げんべえばし)」に着きます。 江戸時代、 今の半田市役所があるあたりは、山方新田(やまかたしんでん)と呼ばれる田園地帯。 ほとんど人家はなく、川を渡るのに橋がなくて、ここを往来する人たちは難儀をしたり、随分大回りして用を達さなければならなかったとか。 そこで...
半田小唄 御所の桜の種かり宿に、春を移せし花盛り 千燈万燈かがやきわたる、半田住吉舟祭 影もすみ画の龍かと見えて、宮のお池に老(ふ)りし松 ぼんと搗(つ)き出す万松山の、鐘のひびきに花が散る 源兵エ橋から川口見れば、船が水かよ川の面(おも) 積んだ酒船さす棹の歌、粋な酢船の船頭衆 誰れをまつ虫阿久比の川の、堤づたいの行戻り いつも石橋叩いて渡る、堅い分別思案橋 そっと見返り快...
名鉄知多半田駅の西側、雁宿ホールと立体駐車場の間に、コンクリート張りの小さな池があるのを見たことがありますか? 「星名池(ほしないけ)」です。 今や池として見えている部分はとても小さいですが、明治の中ごろまでは、名前のとおり、大きな星形をした立派なため池でした。 (半田市誌村絵図より作図) 江戸時代の村絵図に描かれた星名池を、今の地図に描き入れてみました。 とても大きいです。...
半田市北部にある上池は、道を挟んで南側にある七本木池とともに、数年前まで冬になるとたくさんのカモがくることで有名で、「カモ池」と呼ばれてきました。 少なくとも20年前の冬にはパンを投げるとカモが寄ってくる楽しい場所だったことを記憶していますが、ちょっとここ数年はそう呼ぶにはカモの数の寂しさが増してきていますよね。 それでも近隣では、カモ池を連想させる団体名、建物など思い浮かぶ方もいるか...
ココ、乙川あみやき亭の右折レーン、よく混んでイライラすることもありますよね。 でも信号待ちの間、車の窓から気軽に歴史探訪できる場所なんです。 それは、阿久比川橋台。 少し西にある半田赤レンガ建物(明治31年竣工)よりも、12年ほど前にできています。 補強でコンクリートに固められていますが、レンガ積みの円柱の半分が見えます。 今から130年前、1886年(明治19年)3...
雁宿公園の前の遊歩道に、半田らしい側溝のフタがありました。モデルはどこの組の山車なんでしょうね?
JR半田駅の東、銀座本町4丁目の交差点に、「思案橋」という橋があります。 遊びすぎた男、恋した女たちが、ここで「行こうか、戻ろうか、どうしようか」と思案をしたところから、この橋の名が名付けられたとか。 このあたりは、明治の終わりから昭和12年頃(半田市ができた年)までは、芸者の置屋が軒をつらねる花街でした。 半田に伝わる『半田小唄』では、 “いつも石橋叩いて渡る、堅い分別 ...
桐ヶ丘にある苅谷口池は、昭和初期、怪物が出るという噂があったそうです。 暗くなると、大きな声が聞こえる... 名古屋や三河からも人が見にくる騒ぎになって、便乗して出店まで出たんだとか。 ヘビ?カッパ?ウシガエル? どれも違う声。 結局わからないまま... 今ではそんな噂聞きませんが、もしも最近聞いたことがある方はご一報を⁈ ところで この池は、今から473年前、戦国...
今年2016年は、さる年。 「見ざる 聞かざる 言わざる」の三猿は日光東照宮で有名ですが、半田市内にも三猿がいるんです。 それは成岩本町にあります。 成岩小学校の下の道を、愛昇殿へ北上する大通り沿いで、大きな石塔を見たことはありませんか? 粕江庚申(かすえこうしん)と書かれた石柱のそばにある、小さなお堂の中にまつられている石仏(庚申さま)の台座部分に「見猿 聞か猿 言わ猿」...