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少なくとも20年前の冬にはパンを投げるとカモが寄ってくる楽しい場所だったことを記憶していますが、ちょっとここ数年はそう呼ぶにはカモの数の寂しさが増してきていますよね。
それでも近隣では、カモ池を連想させる団体名、建物など思い浮かぶ方もいるかと思います。
近くにある美原郵便局では受け付けたハガキに押される受付印が「カモ池」を描いたものだそうです。
それほどに親しまれてきた「カモ池」ですが、カモの大群が降り立つようになったのは昭和46年頃と言われています。
(半田市誌より)
それ以前は、上池は「鶴池」と呼ばれていました。
上池の西側の上池町には、江戸時代は、半田市の木でもあるクロマツが多くはえた林がありました。
そこに数千羽の鶴が住み着いており、毎朝一斉に舞い上がって、上池に降りてエサを探していたそうです。
大空に舞う鶴の大群、とても壮観だったでしょうね。
ただ、尾張藩のお殿様は鶴を大切にする方で、ここを禁猟地区にしたために、ますます鶴は増えたんだそうです。
近くに住む人々は、もしも自分の土地に死んだ鶴でもいようものなら、お咎めがあったそうで、毎朝早起きしては家の周りに鶴がいないかチェックしてはヒヤヒヤしていたとか…。
いつしか鶴がいなくなって、時を経て、上池の愛称は「鶴池」から「カモ池」に移っていったようです。
ところで、「鶴池」と呼ばれていた頃の上池は、どんな池だったんでしょう?
(半田市誌村絵図より)
今から175年前の江戸時代、天保12年(1841年)の頃の村絵図を見ると、上池も七本木池も、大きさも形もそこまで今と変わりません。
最近、七本木池は綺麗な公園ができて、ランニングに励む大人や、大きなすべり台で遊ぶ子どもの姿を見かけます。
市内では小さくなったり消えた池がたくさんある中で、上池と七本木池は、昔から今もこの地域の人々からとても大切にされてきた風景なんだなと感じます。
再び「カモ池」と呼ばれる姿が見られるようになるのか、気になります。



