今でも残るトロッコ線路跡
今やインターネットで簡単に航空写真が見られるので、旅気分で眺めていると楽しくなるものですが、半田でも、時代旅行気分でぜひ眺めてもらいたいところがあります。 それは、半田赤レンガ建物とJR半田駅の間です。 じーっと見ていると... 今は道でも線路でもないのですが、なんだかラインが浮かび上がってきませんか? 半田赤レンガ建物では明治31(1898)年〜昭和18(1943)年の45年間、ビール...
今やインターネットで簡単に航空写真が見られるので、旅気分で眺めていると楽しくなるものですが、半田でも、時代旅行気分でぜひ眺めてもらいたいところがあります。 それは、半田赤レンガ建物とJR半田駅の間です。 じーっと見ていると... 今は道でも線路でもないのですが、なんだかラインが浮かび上がってきませんか? 半田赤レンガ建物では明治31(1898)年〜昭和18(1943)年の45年間、ビール...
日本の文字史料は、いまから1400年前くらいの飛鳥時代以降に増えていきましたが、いまの半田市の地名として、初めて史料に出てくるのは、“乙河”です。 今では「乙川」と表記する「おっかわ」です。 いまから730年ほど前の鎌倉時代 弘安年間に書かれた「源胤雅申状」に、“英比郷内本領乙河村”と書かれているのが、今のところ最初ということになっています。 ちなみに、英比 は、阿久比(あぐひ)を、...
今や工業地帯という印象が強い亀崎の「州の崎(すのさき)」。 あの辺りは、江戸時代には大きな海亀が泳ぐ海でした。 いくら大潮でも小山のような「州(す)」が残っていたから「すのさき」と言ったようです。 その小山があったから、亀が卵をうみつけやすくて、亀が集まったとか。 数え切れないほどの卵が、孵化すると一斉に小亀が這い出し、流れだし、見事な光景だったと伝えられています。 ...と、言...
『亀崎の海』 千鳥友よぶ知多の海 隔てゝ向ふ薄墨の 三河の山に月出でゝ 寄来る波の白銀の ふちとらせゆく洲崎の磯 面白の夕やな 湾の入口左右より いだく師崎いらこ崎 いすかの嘴のくひちがひ 間に白帆を三つ五つ 見つゝ歌ひし高根山 面白のけしきやな 松の木の間に紅の 鏡をかくる日は出でて 海に賑ふいざり舟 漕ぎゆく声も勇ましく 眺め渡しは県社の杜 面白のあたりやな ...
JR半田駅から東へ向かい、右手にミツカン本社を、左手に魚太郎 蔵の町店を見ながら進むと、半田運河にかかった大きな橋「源兵衛橋(げんべえばし)」に着きます。 江戸時代、 今の半田市役所があるあたりは、山方新田(やまかたしんでん)と呼ばれる田園地帯。 ほとんど人家はなく、川を渡るのに橋がなくて、ここを往来する人たちは難儀をしたり、随分大回りして用を達さなければならなかったとか。 そこで...
半田小唄 御所の桜の種かり宿に、春を移せし花盛り 千燈万燈かがやきわたる、半田住吉舟祭 影もすみ画の龍かと見えて、宮のお池に老(ふ)りし松 ぼんと搗(つ)き出す万松山の、鐘のひびきに花が散る 源兵エ橋から川口見れば、船が水かよ川の面(おも) 積んだ酒船さす棹の歌、粋な酢船の船頭衆 誰れをまつ虫阿久比の川の、堤づたいの行戻り いつも石橋叩いて渡る、堅い分別思案橋 そっと見返り快...
名鉄知多半田駅の西側、雁宿ホールと立体駐車場の間に、コンクリート張りの小さな池があるのを見たことがありますか? 「星名池(ほしないけ)」です。 今や池として見えている部分はとても小さいですが、明治の中ごろまでは、名前のとおり、大きな星形をした立派なため池でした。 (半田市誌村絵図より作図) 江戸時代の村絵図に描かれた星名池を、今の地図に描き入れてみました。 とても大きいです。...
半田市北部にある上池は、道を挟んで南側にある七本木池とともに、数年前まで冬になるとたくさんのカモがくることで有名で、「カモ池」と呼ばれてきました。 少なくとも20年前の冬にはパンを投げるとカモが寄ってくる楽しい場所だったことを記憶していますが、ちょっとここ数年はそう呼ぶにはカモの数の寂しさが増してきていますよね。 それでも近隣では、カモ池を連想させる団体名、建物など思い浮かぶ方もいるか...
ココ、乙川あみやき亭の右折レーン、よく混んでイライラすることもありますよね。 でも信号待ちの間、車の窓から気軽に歴史探訪できる場所なんです。 それは、阿久比川橋台。 少し西にある半田赤レンガ建物(明治31年竣工)よりも、12年ほど前にできています。 補強でコンクリートに固められていますが、レンガ積みの円柱の半分が見えます。 今から130年前、1886年(明治19年)3...
雁宿公園の前の遊歩道に、半田らしい側溝のフタがありました。モデルはどこの組の山車なんでしょうね?