何で、「はんだ」?~半田の地名由来~
愛知県半田市の地名の由来は?半分の田んぼ?坂田村?それ以外にも説があります。地名を知ることは、土地の記憶を知ること。それは災害へのメッセージや先人たちのメッセージを受け取り未来のまちを考えるきっかけにもなります。
愛知県半田市の地名の由来は?半分の田んぼ?坂田村?それ以外にも説があります。地名を知ることは、土地の記憶を知ること。それは災害へのメッセージや先人たちのメッセージを受け取り未来のまちを考えるきっかけにもなります。
流行り病があるとき、心が不安になるとき、古くから人々は「お薬師さん」に救いを求めてきました。 「お薬師さん」とは、「薬師如来」という仏さんのことです。薬師如来像という仏像として、「薬師寺」と名の付くお寺にいることが多いですが、お参りしたことがありますか?
知多半島では数少ない古墳時代後期の群集墳の一つであったと推定される中連古墳群。7基あったうち現存するのは1基だけです。中蓮古墳がある場所は丘の上、見下ろす先には川、海、田んぼ、人々の家。古墳から、今と昔の死生観の違いを感じつつ、直径16mの古墳をでかい!と思う感覚は今も昔も変わらないはずです。
2019年5月3日、4日、亀崎の神前神社(県社:けんしゃ)の祭礼「亀崎潮干祭」が行われました。 潮干祭は海に山車をひきいれるシーンが有名で県外からも多くの見物人が集まります。2016年 には「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産へ33件の1つとして登録されました。 潮干祭の発祥 潮干祭という呼び方は新しく、古くは祭、亀崎祭と呼ばれていました。いい伝えによれば、応仁・文明(...
串アサリを食べたことがありますか? 半田市の亀崎地区では古くから春の伝統食として「串アサリ」を作り、特に祭の頃のごちそうとして食べてきました。 最近ではアサリの不漁や高騰が続き、完成した状態の串アサリの既製品はめったに手に入れることができないという、一層ごちそう感が高まっている串アサリ。 串アサリとは 串アサリとは、アサリの身を剥き、串に刺して1昼夜干した珍味です。 このよう...
3月の乙川祭を皮切りに、半田市内で春の祭礼が行われています。山車を伴う祭礼では、神社などで人形による三番叟や、上半田では小さな男の子による三番叟が奉納されます。 三番叟とは 三番叟の起源は、平安時代頃まで遡ります。 古くからあった老人の面を付けた神が踊り語り祝福を与える神聖な芸能を「猿能楽」として留めたものを「式三番」といいます。 式三番とは 鎌倉時代頃に成立した「猿能楽」は、平安時...
今では新しい年の1月1日は、「午前0時を境に始まる」という方が一般的ですが、かつては大晦日の夜と新年の朝は連なっているもので、はっきりとした区切りはありませんでした。 もともと新しい一日は日没から始まると考えられていたので、新しい年も12月31日の日暮れから始まると考えられてきました。 前回、昭和の終わりころの半田の大晦日の様子を紹介しましたが、新年明けて元日の半田の様子はどうだったのでし...
「なんでこんな寒い中で大掃除するんだろ?」 と、思ったことがありませんか? 「夏にやればいいのに」 「でもなんとなく、新年を迎えるのに汚れを落として気持ちよくした方がいいもんね」 多くの人が、何となく古い日本の文化としてあるんだろうなと思っていても、水をたくさん使う大掃除を寒い年末にやる理由を知らなかったりするかもしれません。 日本人が昔から12月に大掃除をする理由は、「歳神(と...
半田市の中町に、中利という大きな味噌・たまり工場がありますが、その近くの道路が交わるところにひっそりと建つお堂があります。 このお堂、調べていくととても深くて、大切な歴史の証人だったんです。 1.お堂に祀られているのは誰? 昔ファミマだったところ(現在は事務所)と中利の工場の間の道を南に入ったところと、ドラッグセイムスから東に入る細い道の交わるあたり。 道路が交わるところを、昔から...
江戸時代から、半田港、亀崎港が、海運業で栄えてた、ということは何となく知ってる人は多いでしょう。でも、運ばれていたのは酒や酢だけではありません。じゃあ、他に何が運ばれていたのか?今ではイメージしにくいので、あまりフューチャーされることがないのですが、それは「肥料」です。「肥料」とは、畑の農作物に使うあの肥料です。半田・亀崎の海運は、むしろ、全国的に見ると「肥料」が多く扱われていることが特徴でした。