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串アサリを食べたことがありますか?
半田市の亀崎地区では古くから春の伝統食として「串アサリ」を作り、特に祭の頃のごちそうとして食べてきました。
最近ではアサリの不漁や高騰が続き、完成した状態の串アサリの既製品はめったに手に入れることができないという、一層ごちそう感が高まっている串アサリ。
目次
串アサリとは
串アサリとは、アサリの身を剥き、串に刺して1昼夜干した珍味です。
このように書くと単純な食べ物に思えますが、干すと縮むので大きな身を手に入れる方がよいし、アサリの身を剥くのがなんといっても難しいのです。
炙って食べるのもよし、6粒ついた串アサリを半分に折って天ぷらにしてもよし、どちらも人気の食べ方です。
潮干祭が近くなると、亀崎周辺のスーパーで串アサリが総菜コーナーに並ぶことがありますが、かなりレア。出会えてもとても高級でびっくりする値段だと思います。
食べたことのある方にとっては、作るところを見ないうちは、「美味しいな」「春のごちそうだな」と思うくらいかもしれません。
ところが、作るところを見たり、自分でやってみると、驚くほどに難しいのです。
しかし、後ほど紹介しますがベテランはいとも簡単に作るのです。すべての方が尊敬の念を抱くと思います。食べ始めたら止まらない美味しさを知り、作ることの難しさを知り、その価値が倍増する串アサリ、その歴史はかなり古いのです。
串アサリの歴史
昭和5~6年には、亀崎の料理屋みづほ(山口増次郎氏)が特別に調製し、宮内庁を通して昭和天皇に献上したこともあったという記録があります。
『半田市誌 地区誌編亀崎地区』より
亀崎地区は、海に面した漁師町であり、江戸時代には酒などを江戸へ一晩で運んだという廻船業が発達した船乗りの町でもあります。神前神社(県社)を中心とした町は、魚屋を始めとしたさまざまな商店が並んだ通りが栄えました。
亀崎の海底はヘドロ層であるためアサリは沸かないのですが、アサリの稚貝(たねこ)が大きく育成するのに適しているので、明治初期からアサリの養殖に力を入れ、稚貝(たねこ)を市外から買い入れていました。北浦の浜に5月中旬にまき、翌年12月から4月頃にかけて成貝を採っていました。
しかし昭和23年、北浦一帯が農地として干拓されてからは神前神社前の浜一帯にまくようになった。採ったアサリはそのまま個人売り(一升売り)するか、生剥きにした串アサリにしたりして魚市場に出していました。
串アサリは仲買人の手を通して、東京・名古屋・岐阜方面に送り出されました。
串アサリは1本の串に10個のアサリをつけ、1日~2日天日干しし、10本を一組にして、これを縦に6段積んで合計60本ずつ縛っていました。一縛りの大きさは幅20cm×縦30cmくらいになる。縄は紺色の布で飾りをつけ、見た目にも大変美しいものであったそうです。これは「カバン」と呼ばれました。鞄(かばん)に似ていたところからそう呼ばれたそうです。
ただ、これは手間のかかる割に金にならないので、次第にすたれて昭和15年頃にはなくなったそうです。カバンが衰えてからは1本に6個のアサリを刺し、これを5つずつ積んだものを2つ併せて10本とし、それを1つの単位として売るようになりました。
近年は、亀崎の浜でアサリはとっていません。数年前に、地元企業によって、串アサリをお土産化がされました。その生産には三河方面の大き目のアサリを使っています。作業は地元の大ベテランの皆さんが関わって、潮干祭での販売に向けて、毎日のように作業を進めます。
近年はアサリの不漁が続いていて、商品化できない年もあって、来訪者向けに潮干祭の日だけ、「まちかどサロンかめとも」前で販売されることがあります。本当に串アサリが貴重になってきていますね。
串アサリの作り方
そんな串アサリは、どのような手順でつくるのでしょうか?
串アサリは、潮干祭に合わせて各家庭で山のように作られる伝統食ですが、だんだん技術の伝承が難しくなってきています。
そこで、亀崎の文化団体ルート21の皆さんが、亀崎の伝統食「串あさり」の作り方を子どもたちに伝えようと、毎年3月下旬に児童センターで講習会を開いてくれています。
そこで配付してくださるレシピをここでも紹介させてもらいますので、ぜひ家庭で作ってみてほしいです。
分かりやすくて、簡単にできそうなのですが…修行あるのみです。
講習会は、ベテランのお姉さま方の素早い動きを見本にして、参加者の親子が真似してやってみるというものです。
みなさん口々に「難しい!」と言います。私も何度か参加させてもらって実際にやってみたことはありますが、本当に剥くのが難しいのです。そもそも、もたもたしてしまううちに、貝が口を閉ざしてしまって、手刀自体貝へ入れることも難しいのです。
サッと手に取ったら、スッと刀の背を指で押して、押し開ける。刀の先ではなく刀は貝と平行の向きというのがポイントです。
貝の口があいたら、刀を身と貝ガラの間に入れてくるっと1回転。
文字で書くと簡単ですが、本当に難しいのです。いとも簡単に剥くベテランへの尊敬のまなざし・・・。
ベテランは動きが素早いので、貝も「アレ?」っという間に剥かれてしまって、身はキズがつかないので、ホセ(串)に刺しても美しい。
自分でやってみて初めてそのすごさが分かるという、ありがたい講習です。
ベテランさんの話では、「最初の10年は串刺し」「30年剥いてやっと一人前」という話も。これは本当に亀崎の女性による職人技であり無形文化財レベルの技だと思うのですが、今の時代ではたくさんの人に作ったり食べたりしてもらって楽しんでもらうことが大事だと思うので、気軽にトライしてみてほしいと思います。
さて、串あさりは1昼夜干して、あぶったり天ぷらにして食べます。この講習後には同じく伝統食の「味噌焼き」も披露してくれます。
貝の皿の上で、油揚げや菜の花を、味噌や酒やみりんで濃いめに味をつけたもの。白いご飯にのせて食べると、ご飯が進みます。
ルート21の文化伝承活動
亀崎地区は海に面した漁師町として、また江戸時代に江戸まで酒などを運んで行き来する海運業が発達した船乗りの町として栄えました。5輌の山車が海に入る5月3・4日の潮干祭には多くの人が訪れます。
しかし、数年前までは“祭以外は人がいない”と言われるほど、普段は閑散とした商店街でした。
このままではいけないと立ち上がったルート21の約10名の皆さんは、子どもたちや若い親へ亀崎の文化を伝承しようと、さまざまな取り組みを楽しみながら続けています。
何もないと言われた亀崎に坂がある、坂に名前を付けよう、休憩できる井戸を飾ろう、ベンチを作ろう、俳句を作ろう、といった活動を行ってきて、串アサリ作りの講習会もその一つです。根気よく続けてきた活動に、他県から視察が来るほどです。
子どもたちへアプローチすることで、親や祖父母も一緒に参加してくれるということを重視して活動されています。今ではルート21だけでなく、様々な方があつまり、お店の出店、ほかの団体や大学生の参入にもつながり、この数年で本当に亀崎の町を行きかう若者が増えつつあります。若い人が町に興味を持っているという町は、本当に輝いて見えます。
続けることの大切さ、子どもたちへの文化伝承の大切さ、楽しみながら町を彩っていくことの大切さ、所属を超えて一緒に何かを取り組むことのおもしろさ。こういった活動に私も、亀崎へ遊びに行くたびにたくさんの感動を教えていただいて、ルート21の皆さんは本当に尊敬しています。恐れ多いですが、その尊敬は今のこのhanpakuの活動のパワー源になっています。“難しい歴史文化を文字で伝えるよりも、目に見える今の景色やモノから楽しんで好きになってもらいたい”です。
講習会の様子(動画)
こちらの映像は、亀崎の文化団体ルート21による「亀崎 伝統の味を楽しむ集い『串アサリづくり』」の、2014年の講習会時の様子をおさめたものです。
ベテランの手早い動きをぜひ瞬きせずに動画でご覧いただきたいです。↑のレジュメ通りにやっているのでしょうが、なんともこの通りに真似はできません。スロー再生したいくらい素早いです。
でも、子どもたちも楽しそうに体験していたり、ベテランのお姉さま方の活き活きとした様子があったり、地域の方との世代間交流も素敵です。
cookpadでも紹介されています
串アサリづくりのレシピはcookpadでも紹介されています。自分で作って自分で食べる分には、下手でも充分美味しいですので、今のアサリシーズンにぜひ作ってみてください。
コメント
こんにちは
子供の頃よく食べた串あさり干物を販売しているお店を教えてください。
コメントありがとうございます。大変お時間かかり申し訳ありませんでした。
串あさりは毎年3-5月上旬に亀崎エリアでよく食べられる伝統食ですが、ここ3年ほどあさりの不漁が続き、残念ながら店頭でほぼ販売されていません。
(ここ20年で亀崎のスーパーが2軒なくなったり・・)
調子が良ければ、半田中央印刷さんが潮干祭の時期頃にネット販売もされるのですが、果たして今後どうなるか・・
https://www.kushiasari.jp/articles/index.html
私も貴重過ぎてしばらく食べれていません。
https://cookpad.com/recipe/3140988 亀崎の方々に教えていただきながら残したレシピをご参照いただければ幸いです。