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半田の元日の様子
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半田の元日の様子

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今では新しい年の1月1日は、「午前0時を境に始まる」という方が一般的ですが、かつては大晦日の夜と新年の朝は連なっているもので、はっきりとした区切りはありませんでした。

もともと新しい一日は日没から始まると考えられていたので、新しい年も12月31日の日暮れから始まると考えられてきました。

前回、昭和の終わりころの半田の大晦日の様子を紹介しましたが、新年明けて元日の半田の様子はどうだったのでしょうか?

半田の元日の様子

昭和の暮らしを記録し、平成元年に発行された『新修 半田市誌』によれば、半田市内の元日の様子は、

  • 元旦の朝早く、家の主人あるいは若い男が、井戸から初水を手おけにくみ、神棚に供えた。これを「若水を汲む」といい、この水で顔を洗ったり、雑煮を作ったりした。板山地区では、大晦日に井戸水を茶碗へくんで庭先に供えておき、元旦に一口ずつ飲んだ。
  • 初日の出を拝んで、氏神さまへ初詣をしたあと、主婦が神棚と仏壇に明かりをあげて、雑煮を供えておく。家族で集まって新年のあいさつを交わし、雑煮を食べる。
  • 元日の午後~3日までは、親類・知人の家を年始の挨拶に訪れる。昔は、紋付・羽織・袴の正装で訪れ、名刺を置いてきた。女の人が最初に顔を出すと、その家は1年中良くないことが起こると言われた。
  • 正月3日間は「せつよび」といって、親類同士がお互いにもてなしあった。
  • 正月の食事は、豆・たつくり・かずのこ・こぶまき・あらめ(あらめという海藻の中にフナを巻き込んだもの)・かまぼこ などが多い。あらめ
    とくに、農家では、豆、かずのこ、たつくりは、「マメで、かずかず田を作る」と言い伝えられる。
  • また、元日や正月3日間は、福の神を掃き出さないように、ホウキを持たないことになっている。
  • 戦前には正月3日間、横須賀・阿久比から来た万歳(まんざい)が家々を回り、鶴亀・七福神の舞いや商売繁盛の祝い言葉などをうたい、祝儀をもらっていった。
    岩滑・岩滑新田からも昭和10年頃まで角付万歳に出かけていた。万歳
  • 半田・乙川地区などでは、元日未明から、近くの村の12の神社を巡拝する「十二社巡り」が昭和の終わりころまで行われていた。

現代では、井戸がある家はかなり少ないので、「若水を汲む」という行為を見ることがなくなっているでしょう。

昭和の半田の元日の様子、現代の皆さんの家と共通するものはありますか?

お正月、おじいちゃんおばあちゃんの家で、昔の正月の過ごし方、どんな遊びをしたのか、ぜひ聞いてみてはいかがでしょうか。

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