【この記事は約 3 分で読めます。】
半田市の乙川地区にある七本木池にまつわる伝説をご紹介します。
(google航空写真より)
江戸時代、七本木池ができる前に、この辺りに7つの輪中(のちの講中、組)で1本づつ持ち寄って松の木を植えました。
7つとは、
北、中、南、飯森(もとは飯盛)、平地、新居(もとは新井)、向山
の地区単位です。
飯森や新居などは今もよくわかる地名ですが、北、中、南はピンときません。
乙川若宮さんにある石燈籠に『北輪中』と彫られているので、そこが北、そして中、南のエリアが推定されます。
▲乙川若宮さんにある石燈籠
植えられた7本の松は、何年も経って立派な大松になり、人々は何かあると大松に集まりました。
雨乞い、流行り病の退散をしたり、伊勢神宮などの代表の宮参りなどの行事にここで見送り、太鼓で出迎えたとか。
そんな中、大松の下で、新田作りの話がまとまって、何年もかけて、大勢の人手で掘ったのがいまの七本木池です。
地元の人たちは「横川池の水が75杯も入る」といって自慢したんだそうです。
掘った土は全部運んで、7つの新田を築きました。
▲半田市誌村絵図より
七本木池から南側の7つの集落に水を流したということですが、確かに地形的に、七本木池からパワードームの方へ向かっていくと、緩やかな下り坂なので、理にかなった場所に池を造ったんだなと分かります。
池や新田ができて、乙川は急に栄えました。
ちなみに、「万が一、池が干上ったときには、上池から三日三晩栓を抜いて水を入れてもOK」という掟もあったようです。
▲現在の七本木池
伊勢湾台風の被害で、池の周りの木々が折れたり、開発により池もかつてより少し小さくなりましたが、今でも半田市内のため池でダントツ首位の貯水量を誇る大きな池であることに変わりありません。