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日本の文字史料は、いまから1400年前くらいの飛鳥時代以降に増えていきましたが、いまの半田市の地名として、初めて史料に出てくるのは、“乙河”です。
今では「乙川」と表記する「おっかわ」です。
いまから730年ほど前の鎌倉時代 弘安年間に書かれた「源胤雅申状」に、“英比郷内本領乙河村”と書かれているのが、今のところ最初ということになっています。
ちなみに、英比 は、阿久比(あぐひ)を、西暦713年に全国に出された、“きれいな二文字にせよ”という好字令によって無理やり2文字にした地名です。
いまも小学校の名前に名残があります。
奈良時代の木簡にも見られる“英比郷(あくひごう、あぐいごう)”ですが、その範囲は、いまの阿久比町を中心に、時代によって半田市の一部を含む時期があったと考えられています。
“英比郷内本領乙河村”とある通り、中世の乙川は、英比郷の一部だったようです。