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名鉄知多半田駅の西側、雁宿ホールと立体駐車場の間に、コンクリート張りの小さな池があるのを見たことがありますか?
「星名池(ほしないけ)」です。
今や池として見えている部分はとても小さいですが、明治の中ごろまでは、名前のとおり、大きな星形をした立派なため池でした。
(半田市誌村絵図より作図)
江戸時代の村絵図に描かれた星名池を、今の地図に描き入れてみました。
とても大きいです。
この地図の左側にある星崎町1丁目・3丁目が、古くから「星崎」と呼ばれてきた地区です。
いかにも池の形が星のように入り組んで、“崎”がたくさんあったような地名。
かつての大きな池の名残が、今の星名池から100mほど東へ行ったところに残っています。
ローソンのそばの歩道橋の近く、東西に渡る車でよく混む踏切を東へ渡ると、小さな祠に「星名池地蔵」が祭られています。
かつては、ここが星の形の一辺で一番出っぱった先で、丁度そこが切り落し囗になっており、よく子供が吸いこまれて幼い命を犠牲にしたとか…。
二度とそんな哀しいことが起きないようにと地元有志で地蔵尊をお祭りしたそうです。
大正末期までは、毎年9月に星名池地蔵さんのお祭りがあって、野芝居、見せもの小屋、露店商が星名池の周りにぎっしり集まって賑わっていたそうです。
確かに、祠をのぞいてみると、大正に寄贈したらしき賽銭箱が見えました。
そして、今の星名池からイシハラフードの方へ上がっていく道沿いに今もある水路。
これは星名池からあふれ出る水が川になったもの。
かつては、いい天気の日に近所の女性達が洗濯をしていたそうです。
「星名池の洗だく川」「親池の洗だく川」と縄張りがあったとか!
ちなみにこの川は、ミツカンミュージアム(MIM)の展示の中にある古地図にも描かれています。
中埜酢店が醸造のために利用した水路の図面ですが、嘉永四年(1851年)の星名池やそこから流れ出る川が描かれています。
今となっては、あんなに小さくなった星名池。
その豊富な水が、半田の醸造と結びついていたんですね。