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半田中学校を挟んだY字路を通ったことありますか?
名鉄住吉駅前を左に見ながら踏切を渡り、半田赤レンガ建物の手前を左折して北上すると、大きなY字路に出ます。
左斜め方向に進んで、名鉄半田口駅のすぐ前に出るこの道は、「大道(おおみち)」と呼ばれてきました。
え?ほんとに左が「大道」?
右も左も、他の幹線道路と比べると狭いものの、今では、右斜め方向、半田中学校の正門側の道路の方がまだ左よりは広いので、そう思ってしまいます。
踏切幅が、元々の道幅を示しているような雰囲気です。今ではこの踏切幅は狭く感じます。
自動車がたくさん走っていない昔は、この幅が他と比べてとても広い道路だったんでしょうね!
岩滑生まれの新美南吉は、よくこの「大道」を通っていたといいます。
明治時代、江戸時代の地図を見ると、住吉神社の境内と岩滑をつなぐ道が描かれていますが、今の道とは少し違います。
昭和13年の地図では、この「大道」は府県道と書かれているように主要道路として描かれています。
(南吉25歳、安城高等女学校に赴任した頃)
こんな細い道が?と、何度も思ってしまいます。
住吉神社の前にある宮池の形は、それほど大きくは変わっていないようですね。
新美南吉の作品「一年生たちとひよめ」「うた時計」に出てくるフレーズの書かれた石碑が、舞台となった宮池のほとりに建てられています。
道路整備が進んだ中で、直交しない“変な道”は、動かせない、古くから生活に即した道なのです。
“変な道”は、歴史ある街の証しとして今日も生活風景に溶け込んでいますが、
生活に溶け込んだ古くからあるものは、孤立した古い観光資源とはまた違う価値があります。
“変な道”
改めてそういう目で見ると、
Y字路、五差路、カーブした道などの直交しない“変な道”、半田市内で思い浮かぶところが他にもたくさんありますよね!
平地、成岩本町、柊…
コメント
半田中学校の正門は昔、この大道にありました。今の正門に行く道は車の通れない、せいぜい自転車が通れる位の草ボウボウの道でした。今の正門あたりはあぜ道程度で、脇に小さな、幅30cm位の小川が流れていました。住吉神社・半田中学校と県道との間は田んぼで、春になると一面の菜の花で華やかな黄色でした。
大道は紺屋街道から椋岡に続く主要道で、名鉄の西側には道が通じていませんでした。半田から坂部に自転車で行くときは大道から名鉄を踏切で越えて、半田口の西側から椋岡の丘をとおって行くルートでした。大道は三年間中学校に通った道でした。
思い出の道なのですね!菜の花が広がっていたんですね、今の住宅街の雰囲気からは想像がつきませんが、のどかな景色、写真が残っていたら見てみたいものです。