半田から船で運んだのは、酒、酢、●●?!
江戸時代から、半田港、亀崎港が、海運業で栄えてた、ということは何となく知ってる人は多いでしょう。でも、運ばれていたのは酒や酢だけではありません。じゃあ、他に何が運ばれていたのか?今ではイメージしにくいので、あまりフューチャーされることがないのですが、それは「肥料」です。「肥料」とは、畑の農作物に使うあの肥料です。半田・亀崎の海運は、むしろ、全国的に見ると「肥料」が多く扱われていることが特徴でした。
江戸時代から、半田港、亀崎港が、海運業で栄えてた、ということは何となく知ってる人は多いでしょう。でも、運ばれていたのは酒や酢だけではありません。じゃあ、他に何が運ばれていたのか?今ではイメージしにくいので、あまりフューチャーされることがないのですが、それは「肥料」です。「肥料」とは、畑の農作物に使うあの肥料です。半田・亀崎の海運は、むしろ、全国的に見ると「肥料」が多く扱われていることが特徴でした。
歴史の授業で「廃藩置県」(はいはんちけん)って、聞いたことがあると思います。 「なつかしい、でも・・・なんだったっけ?」と思う方も多いかも。 wikipediaによると、 廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 廃藩置県は...
今や工業地帯という印象が強い亀崎の「州の崎(すのさき)」。 あの辺りは、江戸時代には大きな海亀が泳ぐ海でした。 いくら大潮でも小山のような「州(す)」が残っていたから「すのさき」と言ったようです。 その小山があったから、亀が卵をうみつけやすくて、亀が集まったとか。 数え切れないほどの卵が、孵化すると一斉に小亀が這い出し、流れだし、見事な光景だったと伝えられています。 ...と、言...
JR半田駅の東、銀座本町4丁目の交差点に、「思案橋」という橋があります。 遊びすぎた男、恋した女たちが、ここで「行こうか、戻ろうか、どうしようか」と思案をしたところから、この橋の名が名付けられたとか。 このあたりは、明治の終わりから昭和12年頃(半田市ができた年)までは、芸者の置屋が軒をつらねる花街でした。 半田に伝わる『半田小唄』では、 “いつも石橋叩いて渡る、堅い分別 ...