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廃藩置県当初、半田は2分裂していた?!

廃藩置県当初、半田は2分裂していた?!

歴史の授業で「廃藩置県」(はいはんちけん)って、聞いたことがあると思います。 「なつかしい、でも・・・なんだったっけ?」と思う方も多いかも。 wikipediaによると、 廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 廃藩置県は...

室町時代のおじいさん?業葉神社の古面

室町時代のおじいさん?業葉神社の古面

2018年4月、半田市立博物館にて半田市の文化財指定を受けた「業葉神社の古面」が展示されました。室町時代の製作と推定されるとても貴重で古いお面。実際に展示を見に行ったので、紹介します。業葉神社に伝わり、業葉神社の前身の業葉天神、八幡神社という流れを変えたお面でもあります。

『古今半田衆』巻第一半田停車場前

『古今半田衆』巻第一半田停車場前

JR半田駅周辺の今と昔。 「なぜ半田が半田の中心になったのか?」を、茶々丸がお散歩しながら、解き明かしていきます。 ▼PC向け その1.ページの角をクリックすると、漫画のようにページをめくれます。 その2.PDF版 ▼クリックすると開きます ▼スマホ・タブレット向け ↓画像をクリックするとリンクページが開きます。縦スクロールして見てください。

【半田の民家】黒壁、寄棟、ショウキさん

【半田の民家】黒壁、寄棟、ショウキさん

丹生谷 章氏による「中部地方の民家」(昭和43年)という著書に記録されている、今から50年ほど前の半田市の建物について記述があります。その内容が、今となってはレアな景色になりつつあるのでご紹介します。 1.黒く塗った板壁の家 尾張地域の中でも半田では、 「黒く塗った板壁の家が多いのが目にとまった」 とあります。 確かに、昭和生まれで知多半島で育った方ならば、黒壁の建物は昔から馴染みが...

初めて史料に見る半田は?

初めて史料に見る半田は?

日本の文字史料は、いまから1400年前くらいの飛鳥時代以降に増えていきましたが、いまの半田市の地名として、初めて史料に出てくるのは、“乙河”です。 今では「乙川」と表記する「おっかわ」です。 いまから730年ほど前の鎌倉時代 弘安年間に書かれた「源胤雅申状」に、“英比郷内本領乙河村”と書かれているのが、今のところ最初ということになっています。 ちなみに、英比 は、阿久比(あぐひ)を、...

明治まで亀を食べていました。

明治まで亀を食べていました。

今や工業地帯という印象が強い亀崎の「州の崎(すのさき)」。 あの辺りは、江戸時代には大きな海亀が泳ぐ海でした。 いくら大潮でも小山のような「州(す)」が残っていたから「すのさき」と言ったようです。 その小山があったから、亀が卵をうみつけやすくて、亀が集まったとか。 数え切れないほどの卵が、孵化すると一斉に小亀が這い出し、流れだし、見事な光景だったと伝えられています。 ...と、言...

“面白の亀崎や”『亀崎の海』

“面白の亀崎や”『亀崎の海』

『亀崎の海』 千鳥友よぶ知多の海 隔てゝ向ふ薄墨の 三河の山に月出でゝ 寄来る波の白銀の ふちとらせゆく洲崎の磯 面白の夕やな 湾の入口左右より いだく師崎いらこ崎 いすかの嘴のくひちがひ 間に白帆を三つ五つ 見つゝ歌ひし高根山 面白のけしきやな 松の木の間に紅の 鏡をかくる日は出でて 海に賑ふいざり舟 漕ぎゆく声も勇ましく 眺め渡しは県社の杜 面白のあたりやな ...

源兵衛さんが船材で作った橋

源兵衛さんが船材で作った橋

JR半田駅から東へ向かい、右手にミツカン本社を、左手に魚太郎 蔵の町店を見ながら進むと、半田運河にかかった大きな橋「源兵衛橋(げんべえばし)」に着きます。 江戸時代、 今の半田市役所があるあたりは、山方新田(やまかたしんでん)と呼ばれる田園地帯。 ほとんど人家はなく、川を渡るのに橋がなくて、ここを往来する人たちは難儀をしたり、随分大回りして用を達さなければならなかったとか。 そこで...

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“ちょっとビールを半田ァす”半田小唄

半田小唄 御所の桜の種かり宿に、春を移せし花盛り 千燈万燈かがやきわたる、半田住吉舟祭 影もすみ画の龍かと見えて、宮のお池に老(ふ)りし松 ぼんと搗(つ)き出す万松山の、鐘のひびきに花が散る 源兵エ橋から川口見れば、船が水かよ川の面(おも) 積んだ酒船さす棹の歌、粋な酢船の船頭衆 誰れをまつ虫阿久比の川の、堤づたいの行戻り いつも石橋叩いて渡る、堅い分別思案橋 そっと見返り快...

星の形だった大きな池

星の形だった大きな池

名鉄知多半田駅の西側、雁宿ホールと立体駐車場の間に、コンクリート張りの小さな池があるのを見たことがありますか? 「星名池(ほしないけ)」です。 今や池として見えている部分はとても小さいですが、明治の中ごろまでは、名前のとおり、大きな星形をした立派なため池でした。 (半田市誌村絵図より作図) 江戸時代の村絵図に描かれた星名池を、今の地図に描き入れてみました。 とても大きいです。...

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