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半田から船で運んだのは、酒、酢、●●?!
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半田から船で運んだのは、酒、酢、●●?!

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【この記事は約 6 分で読めます。】

江戸時代から、半田港、亀崎港が、海運業で栄えてた、ということは何となく知ってる人は多いでしょう。

今も会社や蔵があるミツカンや国盛(中埜酒造)のイメージもあって、酒や酢が江戸に運ばれてたんだろうな~というのはすぐに頭に浮かびますよね!

でも、運ばれていたのは酒や酢だけではありません。

じゃあ、他に何が運ばれていたのか?

今ではイメージしにくいので、あまりフューチャーされることがないのですが、

それは「肥料」です。

「肥料」とは、畑の農作物に使うあの肥料です。

半田・亀崎の海運は、むしろ、全国的に見ると「肥料」が多く扱われていることが特徴でした。

肥料は、お金の要らない草木の灰や、コエダメから撒くものと、
お金を出して買う「金肥(きんぴ)」があります。

「金肥」は、今だとホームセンターで売ってるような肥料のことで、
白いつぶつぶの化学肥料とか、鶏ふんなどがあります。

江戸時代後半から明治時代の金肥の主流は、魚でした。
とくに、ニシン、イワシです。

▼イワシから作る“干鰯(ほしか)”

肥料の取引は、「千石船」と呼ばれる和船で海上運搬されていました。
千石船は、MIM(ミツカンミュージアム)に再現展示してある「弁財船(べざいせん)」のような大きな大きな船です。

半田港・亀崎港が金肥の集散地としてピークだったのが明治20~30年代。

その頃のモノの流れは、まず

肥料のモトとなる魚や大豆粕などを、

東京・兵庫・大阪・千葉・伊豆・静岡・横浜、
さらには北陸・東北・北海道、
その後は中国(外国の方の中国です)

↓  から引き取ってきて、一旦、

半田港・亀崎港

↓  に集約してから、

東海地方の農地

に供給されていました。

東海地方の中でも、8割が三河、次いで知多半島が供給先となっていたそうです。

この、半田港・亀崎港に仕入れて、供給先へ売る仕事では、
仲買人がかなり大きな力をもっていたのですが、

肥料商として有名なお店といえば、
半田では、「萬三商店」(小栗三郎氏)
亀崎では、「井口商会」(井口半兵衛氏)です。

肥料商は米穀商を兼ねていることが多かったのと、
自ら運搬もするための、大きな船もたくさん持っていたので、

廻船業でも力を持っていました。

明治21年に出版された『尾陽商工便覧』に、
その2つの会社も描かれていますが・・・

▼井口商会

“米穀 肥料商 亀崎港 井口半兵衛 出来倉屋”

大きな蔵のほかに、「亀崎郵便局」「貯金取扱所(銀行)」も描かれています。

井口半兵衛氏は、亀崎郵便局長になっています。それ以前に、かつて亀崎公園前にあった郵便局を井口邸に移しているので、それがこの絵なのでしょう。

明治26年には亀崎銀行を設立しているので、この絵の描かれた明治21年頃であると、貯金取扱所と書かれているのはその前身なのかも?

▼萬三商店

“半田 小栗三郎 本店 その四 浜蔵の図”

でかい!!

萬三商店は、倉庫が多いので、図面がその1からその4まで渡って描かれています。

今でいう半田運河、正式名称でいうと十ケ川(じっかがわ)の船入江が描かれていますが、倉庫のすぐそばまで船を寄せていて、荷物運びがとても便利そうです。

▼半田運河沿い、萬三商店の倉庫があったあたりは、今は公園になっています。

現代では津波のイメージで海沿いの建物が敬遠されたり、ネット通販で宅急便が主流の時代では、海運にそこまでなじみがないので、「ふーん」という程度で見てしまいがちですが、

船が倉庫のすぐそばの岸につけている絵は、今風に解釈すると、

「名古屋駅を下りたらすぐ目の前にある会社」とか、

「空輸ヘリが庭先まで来てくれる会社」とかいうレベルの絵です。相当です、相当。

そう思うと、半田港、亀崎港って、すごい場所なんです。

小学生の頃に、社会の授業で、「濃尾平野は農業がさかん」と習った覚えはなんとなくあります。

たしかに、愛知県はビルの多い名古屋もあったり、トヨタみたいな産業もあって、近代的なイメージもありつつ、農地もかなり身近。

それは自然地形や気候がいい、というのもあるのですが、

明治時代に、半田港・亀崎港をキーステーションにして供給された「金肥」があったことで、知多や三河の農業が発展した、と言っても過言ではないようです。

そうだったのか~

なんか、地味だけどすごい感じ、しません?

ということで、タイトルに●●と書きましたが、

半田港、亀崎港から船で運ばれていたもの、それは、

酒、酢、金肥(きんぴ)でした。

コメント

  1. 寺西功一 より:

    名古屋在住の歴史好きです。母が乙川出身で私も半田市生れ。
    勉強させていただきます

    • hanpaku より:

      コメントありがとうございます。私も勉強中の身ですので、地域の方々に教えていただくことばかりです。乙川は古い地形や地名も興味深い場所ですね。

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