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2018年4月の間、半田市立博物館にて、「業葉神社の古面」が期間限定で展示されました。
とっても貴重で古いお面です。一体どんなお面なのか、見てきましたので紹介します。
目次
1.展示(保存)場所
なぜこのたび半田市立博物館で、業葉神社の古いお面が展示されたかというと、平成30年3月に半田市の文化財に指定されたからです。
半田市立博物館(半田市桐ヶ丘4-209-1)公式HPはこちら
古い面そのものは、業葉神社の所有ですが、半田市立博物館が保存の委託を受けて管理することになりました。
モノ自体はおそらくフラッシュなどによる劣化防止のために撮影禁止だったので、遠景とチラシを活用して紹介します。
こんな感じでひっそりと展示されていました。
2.古面のあった業葉神社とは?
今回展示された古いお面とは、半田市の文化財としての正式名称は「業葉神社の古面(なりはじんじゃのこめん)」と呼ばれますが、業葉神社の神宝として伝わったものです。
▼業葉神社
平成30年2月19日(月)に開催された平成30年2月の定例教育委員会会議録によりますと、平成29年度に業葉神社から“半田市の文化財に指定を”という申請があって、協議の結果、大変貴重なものであるため、半田市文化財に指定されたものだそうです。
業葉(なりは)神社は、半田運河の西岸、酒の文化館の西隣にある古い神社です。
詳しくはこちらのページで紹介しています。
古い棟札は寛文3年(1663)のものがあり、寛文2年(1662)に下半田エリアを襲った津波による被害をうけた人々の魂を鎮めるために、観音堂がおかれ、その後業葉神社がおかれたという言い伝えがあるので、業葉神社自体は江戸時代の初期にできた神社だと思われます。
■いくつか名前のあった業葉神社
ただし、前身の神社がずっとあったようで、古くは業葉天神、中世には八幡神社と呼ばれていたということも伝えられています。
今でも地元では昔の名残で「はちまんさん(八幡社)」と呼ぶ方も多いですが、観光地の中心部に位置するので業葉神社という呼び方が一般的に通じる神社です。
3.古いお面はどんなお面?
こんなお顔。
ゆがみのせいもあるのか、彫り方なのか、まるで人間の力を超越したような微笑みを浮かべた不思議な雰囲気を感じます。『千と千尋の神隠し』に出てきそうな八百万の神様の顔みたい。
(1)材質
「業葉神社の古面」は、クスノキという木でできたお面です。
クスノキ(楠・樟)は、日本では関東以西の本州・四国・九州に分布する木。
材と葉に含まれる樟脳(しょうのう)は防虫効果があり、古くから和風建築、船、仏壇、楽器、玩具、家具、木魚などに利用されてきました。
木のお面だし、古いというし、なんとなく仮面は虫食いで劣化しているように見えるかもしれませんが、鑑定された先生によると、元々このようなゆがんだ木で作られたようです。
■木製品の保存は難しい
ところで、日本は木の多い国なので、古い木材製品が伝わっていることはよくありますが、湿度の高い環境なので、古い木材製品を保存することはとても難しいです。
水を多く含む土の中にパックされて出土したものだったり、相当に厳重に保存されていたもの以外は、すぐに炭のようになってしまいます。私は学生時代、奈良でよく発掘調査に携わっていましたが、木製品が出土して空気に触れるとすぐに色が変わってしまう現象を見ました。乾燥に弱いので、湿度管理の整った保存や展示が必須になってくるので、かなり維持管理費用がかかってしまうという現実もあります。
博物館の方にお話を伺いましたが、今回の古いお面についても、半田市立博物館の精一杯の湿度管理展示にて展示されましたが、十分ではないので劣化が進まないか心配なところではあるようです。中世以前の古い文化財は半田市の文化を伝える貴重なものなので、後世へ伝えられるように大事にしたいですね。
(2)サイズ
大きさは、縦の長さ20.4㎝、横幅13.4㎝、厚さは7.0㎝。
顔を近づけてみてみましたが、私の顔のサイズよりは一回り小さい感じがしました。子供の顔くらいだとちょうどお面としてつけられそう。
もしかしたら木なので、乾燥して縮んでいるのかもしれません。
(3)文字が書いてあるの?
展示によると、面の裏側には劣化により判読困難なところもありますが、
「業葉天(神之物也)」との文字を読み取ることができます。
「なりはてん(かみのものなり)」つまり業葉天神の神様のモノだよ、という意味です。
神様のものだよ!といっても、このお顔自体が神様というわけではありません。
さきほど『千と千尋の神隠し』に出てくる神様みたいだ、と例えておいてそりゃないよ、と思った方ごめんなさい。
私たちは神話などで漫画を見たことがあるので、神様を見たことがあるような感覚を持っているかもしれませんが、日本では神様は形のないものと考えられてきたため、神様の顔が表現されることはなく、神様の象徴である、榊や鏡を飾ることでそこに存在しているということを表現しています。
じゃあ、このお面だれなの?
ということになりますが、どうやら、おじいさんだそうです。詳しくはのちほど。
■『尾張名所図会』に出てくるお面
さきほど、業葉神社はいくつか名前の変遷があると紹介しましたが、その出典が天保15年(1844年)発行の「尾張名所図会」という書物です。
その書物によると、業葉神社について、『元は従三位業葉天神の神社であったことが記録に残っているが、中世には八幡神社と称していた。しかし、神社の神宝の古仮面の裏書に「業葉天神之物也」との記載があったため、再び業葉の神社名に戻した。』との趣旨の記載があります。
そう、この古面がまさに書物に登場する「神宝古仮面」と考えられています。
つまり、このお面が見つからなかったら、業葉神社は業葉神社じゃなくて八幡神社って名前のままだった!ってことです。このお面をきっかけに、下半田の地元の人々は、古い来歴を大事にしたんですね。伝統と誇りを重んじる市民性(村民性?)に半田っぽさを感じました。
難しいことはさておき、とにかく古い半田の文化を伝える貴重なお面です。文字史料に出てくる内容が、実在していることって、すごく希少なことなんです。
時々「噂にあった織田信長の書状が見つかった!」みたいなニュース、新聞に大きく出ますよね。hanpakuでいつもお伝えしたい「ホンモノが目の前にあるっていう威力」を大事にしている私にとっては、今回の古面は半田的にはそれに匹敵する高いレベルだと思っています(笑)
■室町時代につくられたお面か
なお、日本の面の研究の第一人者である和歌山県立博物館長伊東史朗先生による鑑定では、「目鼻のゆがんだ不均衡なつくりは、古い形式の男性老人の面によくあり、芸能化される前の神事用の仮面の様相をよく伝えている。およそ室町時代のものと考えられる。」との所見だそうです。
(4)何に使っていたの?
上記の先生の話でちらっと「神事用の仮面」という情報が出てきました。
人が実際に着用して使用されていたものなのかは定かではないですが、サイズ的にも着用できるように作られています。
日本の古い文化の中で、神社にお面が伝わっていて、神事に使われてきたことがたくさんあることから推察して、この業葉神社の古面も神事等の際に着用して使用されていた可能性はあると考えられています。
4.古面が伝えること
さて、ここから先は、業葉神社の古面によせて、hanpaku的な私察です。
■お面をつける神事は山車文化よりも古い
私はお面の知識はあまりないですが、この不思議な微笑みを浮かべる表情をみて、専門家のいう「古い形式」というのは感覚的に頷けました。
なぜなら、神社に伝わる古いお面、と聞き、私はまず京都や奈良の古いお祭りでつけているお面を想像しました。
愛知県に住んでいると、「祭」=山車の祭りという印象が強いのですが、山車祭の起源は中世・江戸に盛んになった祭の形式だと考えています。山鉾と呼ぶ祇園祭も起源は平安時代後半。「くるま」や「みこし」を使う祭の形式は、怒らせると怖い荒ぶる神様を移動できる箱にのせて、旅をさせて、盛り上げて、楽しませることで、その御霊を鎮め、1年の村人の健康や五穀豊穣を祈るという趣旨が多いでしょう。
祭って酒や歌で疲労困憊して大変そう、酔っ払いばっかり、と思う方もいると思いますが、実はこれも立派な神事の形態で、わけのわからない「トランス状態」になることで、神様と人間の境界があやふやになるというところも、「ありがたい」ことと考えられています。
神様もてなしスタイルの山車祭では「くるま」以外に歌を伴う神事もセットにはなってますが、お面が出てくる場面はそれでも少ないのではないでしょうか。
日本に伝わる実際の事例から、お面をつけて何かをする神事は、山車祭よりも古そうです。
■お面で何かがのりうつる?
業葉神社のお面を見た時に、私は奈良に住んでいた時に見に行った奈良豆比古(ならづひこ)神社の翁舞(おきなまい)を思い出しました。
翁舞というジャンルは全国に伝わっているようですが、奈良時代から平安時代に発展した、おじいさんのお面をつけて扇子をもって踊るお祝い的な神事です。なぜおじいさんのお面で踊るのかというと、「長寿」がめでたいから。現代のように栄養状況の良い時代ではなかった頃に、白髪のしわくちゃのニコニコなおじいさんになるまで生きられるのは最高に幸せなこと。人生の安泰、社会の平和を意味するのがおじいさんというわけ。
なお、翁舞がやがて、大衆文化として猿楽能に発展したと言われています。
▼奈良豆比古神社の「翁舞」
歌っている内容は漢文みたいでよく分からなかったけれど、それがまさに古いんだな!ということは感覚的に分かりました。
素人ながらに感じたことは、長生きしてハッピーなおじいさんになり切って、アッハッハ!と笑いながら踊っている、おめでたいダンスというのが翁舞。縁起物。こんな風に長生きできるように、おじいさんになりきって、神様に感謝やお願いをする寸劇のようなものなのでしょう。
結果的には、山車祭と同様に村人の健康や五穀豊穣、国家の安泰を祈ることに繋がるのですが、寸劇を伴う神事は、直接的に神様をもてなす山車祭とはなんだかプロセスが違うように思います。
お面をつける神事は、世界中にありますよね。日本も、古くは縄文時代のお面をつけた土偶が伝えるように、シャーマン文化(精霊が酋長にのりうつってトランス状態になり、人々にお告げをするような祭礼兼政治の文化)があったことが、文化人類学的にも推察されています。ということは、人間の理想や夢を表現したり、何かになり切りたいという願望が、お面を生み出したんだろうなと簡単に想像できます。
お面って一般人は学芸会やフラッシュモブでつけることがあるように、まさに劇や寸劇の要素ですよね。何かになりきる行為。古い日本文化においては、お面をつける神事は、何かになり切って民衆に神の偉大さを見せたり、幸せを祈るための寸劇だったんだと思います。
業葉神社の古いお面が、実際に業葉神社の前身である業葉天神の神事において、どのように使われていたかは、当時生きていた人に聞かないとわからないのですが、この古面と似たような時期を過ごしていそうな奈良豆比古神社の翁舞のように、現代に他地域に伝わる似たような神事を参考にしてみると、なんとなく同じように使われていたのかもと思います。
半田にも、奈良のように古い都の文化が伝わっていたのだな、とシンプルに感動します。そしてなにより、実物が現在も残っているということは、改めてスゴイと思います。教科書では伝わらない地域文化の感覚的なもの、大切に伝えていきたいです。