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今や工業地帯という印象が強い亀崎の「州の崎(すのさき)」。
あの辺りは、江戸時代には大きな海亀が泳ぐ海でした。
いくら大潮でも小山のような「州(す)」が残っていたから「すのさき」と言ったようです。
その小山があったから、亀が卵をうみつけやすくて、亀が集まったとか。
数え切れないほどの卵が、孵化すると一斉に小亀が這い出し、流れだし、見事な光景だったと伝えられています。
…と、言うとロマンチックなイメージですが、かつて亀崎では、この亀を食べる風習がありました。
亀が穫れると必ず、山の上の「立石」というところに仕掛けた大釜で亀を茹で、売ったそうです。
茹だったことを知らせるために、大鉦(おおかね)を叩いて、村の中を回ると、町の人々は入れ物を持って走ってくる。それほど美味しかったのです。
ところが明治時代の中頃、亀肉を食べた人が運悪くコレラ病にかかってしまいました。
コレラは、下痢をして殆んど一夜で死んでしまうという恐ろしい伝染病。
そのコレラが、海亀によるものだったかは定かではありませんが、恐れた人々は、その後いくら大きな海亀が州の崎に来ても、一切穫って食べなくなりました。
ちょうどその頃、殺された亀の霊魂が街中をフラフラして、財家という財家を喰いつぶして、次第に財家の代が替わっていったことがあったそうです。
亀を食べた街の人達は、どうなるのかとヒヤヒヤ…
するとある年の秋のこと。
水門番をしていた船乗りが寝ていると、大きな蓑亀が夢枕に立ち、こう告げました。
「亀崎の街中に亀の霊魂を、祭ってくれる場所がないから、ぶらぶらしている。どうか一か所に祭ってくだされ」
船乗りはびっくりして起き上がり、夜明けに、知立の有名な占い師を訪ねました。
すると、占い師は、話を聞く前に、
「お前さんの肩に亀がのっておる。急いで戻って、適当な水辺に亀をお祭り申せ。ねんごろにお祭りすれば、必ず福徳開運が来る」
と諭しました。
船乗りは急いで、彫師に白木の蓑亀を作ってもらい、例の占い師に入魂してもらうと、なんと白木彫の亀が赤茶色に!?
そして、地元の宮司さんがお祭りをすると、亀が三回もお礼に来たとか。
この不思議な亀のご利益は、次第に伝わり、難病や無病息災を叶えてくれると亀大明神をお参りに訪れる人が多くなったそうです。
今でも県社(けんしゃ、神前神社)の階段を上がって左手にお社があります。