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「なんでこんな寒い中で大掃除するんだろ?」
と、思ったことがありませんか?
「夏にやればいいのに」
「でもなんとなく、新年を迎えるのに汚れを落として気持ちよくした方がいいもんね」
多くの人が、何となく古い日本の文化としてあるんだろうなと思っていても、水をたくさん使う大掃除を寒い年末にやる理由を知らなかったりするかもしれません。
日本人が昔から12月に大掃除をする理由は、「歳神(としがみ)さまを迎えるため」です。
大掃除がおわったら松飾を飾り、松飾を目印にして歳神さまが家に来てくれるというのです。
歳神とは、新年の神様。
1年間のすすを払い、歳神さまを迎えることを、大掃除と言ってきたのです。つまり、年内に汚れを落としてすっきりすることが本来の目的ではないということですね。
目次
大掃除の歴史は古い
日本では、平安時代頃、年末の宮中行事として「煤払い(すすはらい)」が行われたことが、現代の大掃除につながっているそうです。
江戸時代、江戸城では、今のように12月末ではなく、12月13日に煤払いをしていたようです。
12月13日は正月事始め(しょうがつごとはじめ)で、正月を迎える準備を始める日です。
旧暦の12月13日は、東洋占星術の吉凶の基準となる二十八宿の鬼宿日という日にあたり、最高に縁起がいい日とされています。
そんな日は、新年を迎える準備を始めるのに相応しい吉日だろう、ということで、鬼宿日にすす払いが行なわれるようになったそうです。
他にも元旦のお雑煮を作るための薪を拾いに行ったり、門松飾りの竹や松の枝を取りに行ったりする縁起の良い日だったようです。
現代のライフスタイルの中では12月13日にこだわらず、年末の休日に行うようになりました。
半田市の大晦日
では、昔の半田市の大晦日は、どうだったんでしょうか?
昭和の暮らしを記録し、平成元年に発行された『新修 半田市誌』によれば、半田市内の大晦日の様子は、
- 餅つきは、12月25日~30日までに行った。
ただし、29日は「九(苦)餅をつく」といって嫌われ、12月30日に餅をつく家が多かった。 - 12月31日は、仕事を休んで新年を迎える準備をする。「松迎え」(山へ行って門松の材料を取ってきて)して、玄関か門の左右両側に一対立てる。ただし、忌中の場合は立てない。
- 神棚へは鏡餅・しめ縄・氏神様のお札を祀る。
- 床の間には、三方台にシダを敷いて、米を置いて、その上に鏡餅と、ダイダイ(またはミカン)を供える。
- 井戸・かまど・風呂・物置など、農家では、農具・倉庫・作業場などにも「しめ縄」を輪に結んで供えたり、鏡餅を供えたりした。
- 板山の大湯では、大晦日に一升マスに米を入れて、上に鏡餅一組をのせて、井戸へ供えておき、元旦の朝早く下げる。上の鏡餅は月、下の鏡餅は太陽を表す。天地の神に備えた。
- 板山、乙川の古くからある家では、家にあるだけの「おかけじ」(掛け軸)をデイ(広間)やナンド(納戸)に飾って、鏡餅や神酒を供え、家族でお参りした。
- 神社では、門松と大しめ縄を作って氏神様に飾る。
夜はおこもりして、夜を明かす人もあった。
境内でかがり火をたき、神札の焼納をする。
また、厄年の人たちが参拝者に甘酒などをふるまっている。 - 昔は満年齢ではなく、数え年といって、年齢のカウントは正月の数だった。
大晦日は、1つ年を取る記念として、尾頭付きの魚と米のご飯を炊いて祝った。
大正から昭和になって年越しそばを食べる家が多くなってきた。
大掃除そのものについては、細かな記事はなく、正月の準備が多いです。
半田市の昭和の大晦日の様子は、神社は今と大きくは変わっていませんが、家での様子はわりと変わったのではないでしょうか。
“餅をつく”
“家の門に門松を立てる”
“家にあるだけのおかけじ(掛け軸)をかける”
“大晦日に尾頭付きの魚とご飯を食べる”
核家族化や、全国転勤が普通になって、ライフスタイルが多様化した現代では、個人宅でここまでの年末行事を行う家はかなりレアになってきました。
神社、旧家の多いエリア、公民館などで、門松や新しいしめ縄を見ることができるくらいになってきたように思います。
この年末、近所や市内で、門松や新しいしめ縄をどれくらいの家が飾っているか、ぜひ気にして見てください。