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【半田の民家】黒壁、寄棟、ショウキさん
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【半田の民家】黒壁、寄棟、ショウキさん

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【この記事は約 7 分で読めます。】

丹生谷 章氏による「中部地方の民家」(昭和43年)という著書に記録されている、今から50年ほど前の半田市の建物について記述があります。その内容が、今となってはレアな景色になりつつあるのでご紹介します。

目次

1.黒く塗った板壁の家

尾張地域の中でも半田では、

黒く塗った板壁の家が多いのが目にとまった

とあります。

確かに、昭和生まれで知多半島で育った方ならば、黒壁の建物は昔から馴染みがあった風景ではないでしょうか。

半田市では、明治~昭和前半に建てられたような黒壁の建物は、最近では古くなったことからかなり取り壊されて減ってきました。

平成生まれの方や、市外の方からすると、半田市で黒壁というと、パッと思いつく建物は、半田運河周辺のミツカンミュージアムや、魚太郎蔵のまち店、中埜半六邸などでしょうか。

▼ミツカンミュージアム

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しかしながら、これらは、故郷の景観保存や観光を意識して、かつての黒壁を再現しているものです。

半田市の建物で壁が黒かった理由は、潮風から家や蔵を守るためにコールタールを塗布したためです。黒壁の家や工場や蔵は、知多半島でも、海辺の街並みの中でよくみられるものでした。

▼こちらは古い建物。半田運河沿いにあるキッコウトミ㈱の工場

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  • コールタールとは

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コールタールとは、石炭を乾留(加熱分離)して採取できる、黒くネバネバした液体です。

工業系で使われることが多く、木材防腐剤、染料、薬品、香料として使われてきました。全国的にもトタン屋根に塗ることは多くありました。

においが独特で、油性マジックペンのような強いツーンとしたにおいです。

現在では、コールタールは発がん性物質として認知されています。あんまり近づいてにおいを嗅がない方がよいということでしょうか…。

2.寄棟造

同著書には、

“知多半島において、半田~新舞子のラインから南は寄棟造、北(阿久比・大府・知多・東浦)は入母屋造りが多く、いまの尾張横須賀駅のあたりではまた寄棟造が目につく

という内容の記録も書かれています。これは今となっては、知多半島で画一的な新しい家が建ち並ぶようになったため、実感しかねるものです。

  • 寄棟造(よせむねづくり)とは

4方向に傾斜する屋根面をもつ建築物の屋根形式のことです。

▼半田市内の寄棟造の例:中埜半六邸庭園内の蔵

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古代日本では東日本に多かったことから、このような構造は「東屋(あずまや)」とも呼ばれ、田舎風の粗末な家の造りを指すようなイメージだったようです。今でいう東屋(四阿)とは少しイメージが違いますよね。今となっては一般住宅で寄棟造はごく普通で、決して田舎風というイメージもありません。

▼中埜半六邸庭園の東屋

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  • 入母屋造(いりもやづくり)とは

下が寄棟造で上が切妻造という2重の屋根構造をしている屋根形式のことです。東アジアに広く伝わる伝統的なものです。

▼半田市内の入母屋造の例:業葉神社の社殿

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神社や、信州の茅葺屋根、弥生時代の高床式建物というようなイメージの建物です。中国の天安門も入母屋造です。インドネシアの高床式建物を思い浮かべる人もいるでしょう。

面白いなと思ったのは、私が数年にわたり知多半島および愛知県内で調べている一年中しめ縄を飾る家の分布が、同著に記載の寄棟造の多いエリアと少しばかり重なることです。文化圏を示す傍証になるものなのであれば興味深い記録です。

3.ショウキサン

また、同著には、

屋根にショウキサンをおいているのも中部地方では珍しい

と記載があります。

ショウキサンというのは、「鐘馗(しょうき)さん」のことと思われます。

  • 鐘馗(しょうき)さんとは

歌川国芳画『鍾馗』

「鐘馗」(しょうき)とは、中国の民間伝承に伝わる道教系の神様です。玄宗皇帝がマラリア熱にかかった時に、夢の中で、熱を引き起こした鬼を抑え、皇帝を救ったという伝説があります。

日本では、幕末頃から、一部地域で鐘馗信仰が風習になりました。

●関東…5月5日の端午の節句に鐘馗さんの人形を飾る

●近畿…魔除けとして鐘馗さんの像を屋根の上に置く

知多半島の鐘馗さん

①屋根

屋根上に鐘馗さんを載せるのは、京都の町屋を中心に、近畿~中部エリアの風習だそうです。鐘馗さんマニアの方によると、屋根上の鐘馗像は、京都の次に愛知県が多く、しかも知多半島全域(特に常滑市)に多いという情報もあります。

そう言われてみれば、どこかで見たことがあるような、ないような・・・

と思い、本日、半田市内の古くて立派な民家がありそうなエリアを2つ回ってみました。

屋根の上を見ながら狭い道を歩いて、かなり探して両エリアで1軒ずつ見つけました。

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望遠カメラがないので正確にお顔を拝めませんが、おそらく鐘馗さんと思われる風貌です。

もしも皆さんのご自宅の屋根に、鐘馗さんが載っているという方がいらっしゃいましたら、ぜひ写真を見せていただきたいと思います。

②端午の節句

関東の文化として始まった端午の節句と鐘馗さんの関わりについては、おそらく現在では相当レアになっていると推測されます。

これについては、私は今年2016年5月に、知多半島中部のとあるエリアの、広い敷地の旧家のお庭で鐘馗さんののぼりを確かに見ました。その時、知多半島出身の母に、「あれは鐘馗さんだ」という解説を受け、「へ~」と思った記憶があります。我が家では鐘馗さんののぼりなんぞは飾りませんでした。

皆様のお宅で、端午の節句に鐘馗さんの絵やのぼりを掲げる風習のある方は、ぜひお知らせいただきたいと思います。

さて、①屋根上の鐘馗さんは関東から、②端午の節句の鐘馗さんは京都から。つまり知多半島は、東西文化の交わるエリアらしい風習が現れていることがうかがえます。

ちなみに、下半田地区の南組護王車の彫刻にも、鐘馗が鬼退治する様子が彫られています。鐘馗さん繋がりで色々と文化を追っていくのは、とても面白いです。しかし今後、家の建て替えや世代交代が進めば、ますます消えていきそうな風習だと感じました。

黒壁と、鐘馗さんについては、数少ないですがまだ現実には残っている風景ですから、気にして見ておきたいものです。

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