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JR半田駅の東、銀座本町4丁目の交差点に、「思案橋」という橋があります。
遊びすぎた男、恋した女たちが、ここで「行こうか、戻ろうか、どうしようか」と思案をしたところから、この橋の名が名付けられたとか。
このあたりは、明治の終わりから昭和12年頃(半田市ができた年)までは、芸者の置屋が軒をつらねる花街でした。
半田に伝わる『半田小唄』では、
“いつも石橋叩いて渡る、堅い分別 思案橋”
と、うたわれています。
遊ぶには思い切りが必要だったんですね…
ちなみに明治の中頃まで、この思案橋が、成岩(ならわ)と半田の境だったそうです。
今では、半田のど真ん中でひっそり身を潜めている「思案橋」。
この橋が架かっている新川は、西側は道路がかぶせられて見えませんが、東側はチョロチョロとした細い水路として見えます。
コメント
思案橋からJRのガードまでは、私の子供の頃には(1947年生まれ)道路の真ん中に川が流れていてその両側に道路がありました。何本か橋がかかっていたのですが、早くに地下水路が敷設されたので、明確な記憶がありません。
ミツカン酢に行くと図があってわかりますが、この川は藤田医院の道からピアゴの脇の道をオープンで流れていて、星名池まで続いていました。そのころピアゴは田んぼでした。
面白い記事を有り難うございます。あちこち読んで見ます。
私もMIMで地下水路の配置図を興味深く眺めました。雁宿公園に記念碑がありますね!中埜家の木樋の敷設のおかげで、ゲタで通らねばならなかった「大股」あたりの水はけの悪いエリアが改善されたという話を聞いたことがあります。(大げさかもしれませんがいつもこの時沼地に近かった軟弱な江戸を、常滑焼の土管による下水道敷設が都市化に一役買ったという話を連想して、すごいな~と思います。)古地図を見ると星名池はとても大きかったんですよね、今はあんな風で、とても不思議です。