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岩滑の常福院さんの片隅。
石のお堂の中をのぞくと、生き急ぐ私たちに、ふと立ち止まり自己を顧みる時間を問いかけてくれる方が座っています。
この方は、座り方に特徴があります。この座り方をする方は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」さんです。
左手にお経の書いた巻物を持っています。
役行者は、7世紀末に、奈良県の葛城山にいたという呪術者で、役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれます。世界遺産になった吉野の金峰山や大峰山に山岳修行(修験道)の霊場を開き、仏教に通じ、祈祷や呪術をしていました。
当時は、「人々を言葉で惑わせている」という秩序を乱した罪で一時、伊豆に流刑になるほど恐れられていました。しかし、室町時代になると役行者ブームがおこりました。その不思議な力のウワサへの憧れのようなことから、修行方法をマネしようとする動きが広がったり、こうした彫像や画像が全国的に作られて、信仰心を集めるようになりました。
岩滑の常福院は、元・岩滑城主の中山さまが、菩提寺として永禄2年(1559年)に建立したと言われています。
この役行者の石像も、まさに室町時代におこった全国の役行者ブームの中つくられたものと推定されます。
半田市内にも、いくつか役行者の石像がありますが、いずれも室町時代以降に作られたと考えられます。
昭和くらいまではかなり全国的に、吉野信仰と称して、大峰山などへ向けて、男性陣が山伏の格好をして集団で修行に行くという習わしがありました。
半田市でも、決まった年齢の男性集団が決まった時期に行く習わしがあったと「半田市誌」に残っています。また、亀崎にある役行者石像について、地元の方が「吉野に行く前に必ずここをお参りしてから旅立った」とおっしゃっていました。
半田市でも、全国のブームにたがわず、役行者信仰があったということが、こうした役行者の石像で確認することができます。