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  • 潮干祭カウントダウン

    潮干祭カウントダウン

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    5月3日、4日開催の亀崎潮干祭。

    この2日間の賑やかさと比べると、祭の無い363日は静かな街。

    亀崎は、江戸時代から廻船業や酒蔵で江戸との商売が多く栄えた海辺の街です。

    祭以外にも素晴らしいものがたくさんある街ですが、

    まずは祭絡みで、この中切組の事務所前に掲げられているカウントダウンにご注目ください。

    5月4日に訪れたところ、「あと000日」となっていましたが、

    祭りの終わった5月5日になると、どうなっているのか?

    ・・・きっと、予想通りですが、なかなかこんなカウントダウンありませんので、ぜひ見に行ってください。

     

     

  • 成岩 無量寿寺

    成岩 無量寿寺

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    成岩にある無量寿寺。

    広い庭園が美しいこの寺ですが、山門の彫刻や瓦をぜひ見てみてください。

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    シャクナゲのような花がモチーフになっていて、華やかです。

     

    瓦は飛鳥、奈良時代から日本で造られるようになりましたが、その頃の模様はハスの花です。

    鎌倉時代になって、多くの寺が巴文(ともえもん)と呼ばれる勾玉が3つ巡るような形の模様の瓦に変わりました。

    現在も寺院は巴文の瓦が主流な中で、無量寿寺は、復古的かつ現代的なアレンジの瓦で、個性的です。

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    かつて無量寿寺には、寺子屋のような「進学学校」があり、それが明治17年に今の成岩小学校へ移転しました。

     

  • 役行者@岩滑 常福院

    役行者@岩滑 常福院

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    岩滑の常福院さんの片隅。

    石のお堂の中をのぞくと、生き急ぐ私たちに、ふと立ち止まり自己を顧みる時間を問いかけてくれる方が座っています。

    この方は、座り方に特徴があります。この座り方をする方は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」さんです。

    左手にお経の書いた巻物を持っています。

    役行者は、7世紀末に、奈良県の葛城山にいたという呪術者で、役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれます。世界遺産になった吉野の金峰山や大峰山に山岳修行(修験道)の霊場を開き、仏教に通じ、祈祷や呪術をしていました。

    当時は、「人々を言葉で惑わせている」という秩序を乱した罪で一時、伊豆に流刑になるほど恐れられていました。しかし、室町時代になると役行者ブームがおこりました。その不思議な力のウワサへの憧れのようなことから、修行方法をマネしようとする動きが広がったり、こうした彫像や画像が全国的に作られて、信仰心を集めるようになりました。

    岩滑の常福院は、元・岩滑城主の中山さまが、菩提寺として永禄2年(1559年)に建立したと言われています。

    この役行者の石像も、まさに室町時代におこった全国の役行者ブームの中つくられたものと推定されます。

    半田市内にも、いくつか役行者の石像がありますが、いずれも室町時代以降に作られたと考えられます。

    昭和くらいまではかなり全国的に、吉野信仰と称して、大峰山などへ向けて、男性陣が山伏の格好をして集団で修行に行くという習わしがありました。

    半田市でも、決まった年齢の男性集団が決まった時期に行く習わしがあったと「半田市誌」に残っています。また、亀崎にある役行者石像について、地元の方が「吉野に行く前に必ずここをお参りしてから旅立った」とおっしゃっていました。

    半田市でも、全国のブームにたがわず、役行者信仰があったということが、こうした役行者の石像で確認することができます。

     

  • 微笑が素敵なびんずるさん@鳳出観音

    微笑が素敵なびんずるさん@鳳出観音

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    半田市有楽町にある鳳出観音教会にいらっしゃる

    「びんづるそんじゃ」さん。

    賓頭盧(びんずる)さんは奈良の東大寺にもいますが、お釈迦様の弟子の1人。神通力にすぐれすぎて、みだりに世間の人に神通力を使いすぎて、お釈迦様に怒られて、涅槃を許されずに、ずっとずっと衆生を救い続けているという方です。

    民間ではわかりやすく、「なでぼとけ」と言われてなでられてきました。

    膝の痛い人が、賓頭盧さんの膝を触って、自分の膝を触って、と交互になでると痛みをとってくれると信じられてきました。

    また、お顔が赤いのは、お酒が大好きで、修行の合間にこっそり飲んでいたからか、お釈迦様にバレて怒られて赤面しているからなのか分かりませんが、全国の賓頭盧さんは必ず赤い顔をしています。

     

    さて、この鳳出観音さんには、市の歴史資料によく載るような有名な仏さんお地蔵さんがたくさんいます。

    鳳出観音さんは、地元では通称「とりでかんのん」といいますが、戦国時代の頃は、本当にここに“砦(とりで)”があったと伝えられています。

    この寺があるところは、室町時代、1543年(天文12年)に、知多半島北部から攻めてきた水野氏が、成岩城を攻めるための、軍事拠点“砦(とりで)”として築いた場所でした。

    確かに、後々ご紹介する成岩城と、鳥出観音のある場所は同じような高さの場所にあり、両者の間には神戸川(ごうどがわ)が流れ、たびたび氾濫したような低地が広がっています。

    そんな高台に、海や一帯を見晴らせた砦があったというのは、伝説的な記録しかありませんが、地形的には納得のいくものです。

  • 半田口駅上りプラットフォーム古墳跡

    半田口駅上りプラットフォーム古墳跡

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    名鉄半田口駅。

    今は跡形もないですが、昔ここに、横穴式石室らしき古墳があったそうです。

    愛をこめてhanpakuでは「半田口駅プラットフォーム古墳」と命名しました。

     

    古墳からは、須恵器と、直刀が出土したそうです。

    須恵器は、古墳時代の4〜5世紀に朝鮮から工人とともに日本に伝わったと言われる硬くて丈夫な焼き物です。

    愛知県や知多半島の古墳づくりはスタートや展開が周辺と比べてのんびりなので、ここに古墳が築かれたのは7世紀に近い時代ではないかと思われます。

    その頃(古墳時代後期)は円墳が主流なので、このホームの下にも丸いお墓があって、この岩滑辺りの偉い方が眠っていたと考えられます。

    電車で通過される際は、心の中で是非お手を合わせてください。

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