ブログ

  • 除夜の鐘が聞こえたら「乙川十二社めぐり」

    除夜の鐘が聞こえたら「乙川十二社めぐり」

    半田市の乙川地区では、除夜の鐘が鳴り始めると、「今年もまめであるように」と、十二社参りがされてきました。

     

    伝えられているルートは、

    ①神明さん(神明社)

    ②猿田彦さん(猿田彦神社)

    ③行者さん(海蔵寺内にある行者堂)

    ④若宮さん(乙川若宮社)

    ⑤毘沙門さん(香取社)

    ⑥津島さん(津島社)

    ⑦金毘羅さん(金毘羅神社)

    ⑧千家(せんげん)さん(浅間神社)

    ⑨八幡さん(乙川八幡社)

    ⑩天神さん(乙川天満宮)

    ⑪弁天さん(市杵嶋神社)

    ⑫愛宕さん(愛宕神社)※元は大池町

    %e4%b9%99%e5%b7%9d%e5%8d%81%e4%ba%8c%e7%a4%be

    どこから回っても必ず左回りなんだそうで、夜明け前までに全部まわってしまったそうです。

     

    この風習は江戸時代頃から始まって昭和40年代まで続きました。若者たちも年寄りのもの珍しい話を聞きながら回ったそうです。一旦廃れ、数年前より半田市観光ガイド協会やはんだ郷土史研究会がイベントとして復活させています。

     

    今年もあとわずかとなりましたが、お近くの方は、除夜の鐘が聞こえたら、十二社巡りをしてみてはどうでしょうか?

  • 【知ると楽しい“変な道”】「大道」

    【知ると楽しい“変な道”】「大道」

    半田中学校を挟んだY字路を通ったことありますか?

     

    名鉄住吉駅前を左に見ながら踏切を渡り、半田赤レンガ建物の手前を左折して北上すると、大きなY字路に出ます。

    左斜め方向に進んで、名鉄半田口駅のすぐ前に出るこの道は、「大道(おおみち)」と呼ばれてきました。

    oomichi1

    え?ほんとに左が「大道」?

    右も左も、他の幹線道路と比べると狭いものの、今では、右斜め方向、半田中学校の正門側の道路の方がまだ左よりは広いので、そう思ってしまいます。

    踏切幅が、元々の道幅を示しているような雰囲気です。今ではこの踏切幅は狭く感じます。

    自動車がたくさん走っていない昔は、この幅が他と比べてとても広い道路だったんでしょうね!

     

    岩滑生まれの新美南吉は、よくこの「大道」を通っていたといいます。

    oomichi3

     

    明治時代、江戸時代の地図を見ると、住吉神社の境内と岩滑をつなぐ道が描かれていますが、今の道とは少し違います。

    oomichi2

    昭和13年の地図では、この「大道」は府県道と書かれているように主要道路として描かれています。

    (南吉25歳、安城高等女学校に赴任した頃)

    こんな細い道が?と、何度も思ってしまいます。

     

    住吉神社の前にある宮池の形は、それほど大きくは変わっていないようですね。

     

    新美南吉の作品「一年生たちとひよめ」「うた時計」に出てくるフレーズの書かれた石碑が、舞台となった宮池のほとりに建てられています。

    oomichi4

    道路整備が進んだ中で、直交しない“変な道”は、動かせない、古くから生活に即した道なのです。

    “変な道”は、歴史ある街の証しとして今日も生活風景に溶け込んでいますが、

    生活に溶け込んだ古くからあるものは、孤立した古い観光資源とはまた違う価値があります。

     

    “変な道”

    改めてそういう目で見ると、

    Y字路、五差路、カーブした道などの直交しない“変な道”、半田市内で思い浮かぶところが他にもたくさんありますよね!

    平地、成岩本町、柊…

     

  • 油樽地蔵の油樽ってどんな樽だろう?

    油樽地蔵の油樽ってどんな樽だろう?

    aburadaru2

    星崎町にある油樽(あぶらだる)地蔵の祠。

    モスバーガーやカラオケのビッグエコーの近くにあります。

    住吉駅の踏切が渋滞する朝夕、抜け道に使う人も多い道。

    「油樽」と書かれた大きな看板のあるこのお堂を目にする方も多いのでは?

    車だとなかなか祠の前で止まることはないですよね。

    お堂には、達筆な手書きの説明が貼られています。

     

    aburadaru3

    江戸時代中頃、暴れん坊将軍 徳川吉宗の時代。

    修行中のお坊さんが、誰かに呼ばれた気がして周りを見てみると、溝の中にお地蔵さんが!

    「これはいかん」と、近所の家にあった油樽を借りて、とりあえずお地蔵さんの台座にしたので、「油樽地蔵」というようになったとか。

     

    やがてお堂を建てて、近所の人たちが祀ってきました。

    (今の場所は昔とは少し違うようです。)

    かつての油樽地蔵さんのお祭りでは、ちょうちんを数百つけて、出店や、お芝居をして大盛り上がりだったそうです。

    今では三角州のような場所にひっそり建っているという感じです。

    aburadaru1

    ところで、現代では油を入れる樽はドラム缶ですが、当時の油樽って、どんな樽だったんでしょうか?

     

    お坊さんが近所の家から油樽を借りたという享保(1716〜1735年)の時代。

    燃やすと臭い魚油に代わって、灘で水車を使った菜種油の大量生産がされるようになった頃とはいえ、油は米の4倍くらいの値段。

    江戸で天ぷらが発展した時代ですが、まだまだ油は主に照明用。

    1か月で庶民が家庭で使う明かり用の油は約2リットルくらいだったといわれます。

     

    関西で作られた油が、樽に入れて船で運ばれ、油問屋に卸されて、油商人が桶に入れて売り歩いて、庶民が買っていたようですが…

     

    廻船が発達した江戸時代の樽のサイズは、今も神社でみる酒樽よりも大きな、約70リットル入る四斗樽。

    油が高級品だった時代に、もしそんな大きな樽がある家って、油問屋さん?

     

    または、油樽と言うものの、油樽地蔵さんが身長30cmくらいのかわいいサイズなので、とりあえず台座にしたという雰囲気から、油売りの商人が竿で担いだ小売りサイズの油桶だったのかも?

     

    酒造りの盛んな半田なら、酒樽の間違いじゃないか?でもわざわざ油樽というし…

     

    想像が膨らみます。

  • 【どこだぃな?シリーズ】「兀山町」

    【どこだぃな?シリーズ】「兀山町」

    半田市兀山町、どこにあるかご存じでしょうか?

     

    見慣れない漢字ですが、

    兀山町は、はげやまちょう と読みます。

     

    現地は、一の草病院の近く、県営長根住宅の西側にあります。

    hageyama1

    半田市から行くと、住吉町を過ぎて、左手にユニーオイルを見て、右手奥に日産自動車を見ながら半田橋を越え、さらに行くと阿久比町の横松というサークルKのある大きな交差点に出て、右折して、坂を上ります。

    左手はずっと森ですが、一の草病院が見えてくる頃に森に切れ目があって、左折すると、「中華茶房うんぷう」のある むそうさんの「アートスクウェア」があり、その左手奥に駐車場が広がってます。

     

    この辺りが兀山町。

     

    駐車場になっているところをみると、確かに町名のとおり、はげた山です。

    駐車場は兀山町の南半分くらいで、残りの北半分には畑や工場や民家がありました。

    hageyama2

    石川県と富山県の間に白兀山(しらはげやま)という山があるようですが、兀山町と地名がつけられているのは全国でも今は半田市だけのようです。

    なかなかインパクトのある珍しい地名ですね。

  • 【どこだぃな?シリーズ】「鶴田町」

    【どこだぃな?シリーズ】「鶴田町」

    今回は、いまの地図には無いのに、バス停では使われている地名です。

    半田市内を走る路線バスの停留所に、

    「鶴田町(つるたまち)」という名前があります。

    ※残念ながら、2016年「鶴田町」のバス停は廃止されました。

    バス停の場所は、名鉄 半田口駅から大通りを東へ行った所です。

    tsurutamachi1

    しかし、現在の地図を見ると、そのバス停の周りには「住吉町」「岩滑東町」がありますが、「鶴田町」という字名は見当たりません。

     

    半田市で生活しているみなさま、鶴田町という地名を、日常的に耳にしますか?

    あまり聞かないとは思うのですが、日常的に使う方がいたら、ぜひ年齢層やお住まいの地区と共に教えてください。

     

    ↓行政的には名前はあるようなのですが…

    投票区 No.14半田北エリア

     

     

    図書館で「鶴田町」について調べたところ、いくつかの文献から以下の変遷が追えました。

     

    昭和32年、鶴谷が鶴田町(つるたちょう)と住吉町に地名変更

    (鶴谷というエリアは、半田赤レンガ建物の北側あたり)

    ↓

    土地改良事業により、昭和43年6月10日に、鶴田町は住吉町に取り込まれ、地名だけ残る。

     

    tsurutamachi3

    ↑昭和13年の半田市地図

    ということでした。

    もともとは『鶴谷』だったんですね。

    谷が田んぼに変わった、つまり谷が土地改良で埋められていたのでしょうか。

    隣の住吉町は全国的に住宅地につく地名です。

     

    地名だけ残るということは不思議ですが、色々と手続き上、書類上、消すわけにいかない事情があるのでしょうか。

     

    それはそうとして、現実的には使われていなさそうな地名。

    統合された時点で変わってもよさそうなものですが、なぜバス停に名前が残っているのでしょう?

     

    市内の路線バス停留所の名前は、鶴田町以外は、どれも施設名や現行の町名由来の馴染みがある名前がついています。

     

    「なぜ鶴田町という地名表記が地図になくなった今も、バス停の名前に鶴田町とつけているんだろう?」

    当の路線バスを運営する知多バスさんに問い合わせてみました。

     

    すると、ご丁寧に、資料を調べていただいたり、OB社員さんや近隣住民の方にも聞き取りをしてくださるなどして、ご回答いただきました。

     

    それによりますと、

    「鶴田町」のバス停は、昭和35年9月13日に設置されましたが、現在そのバス停は住吉町1丁目に立っているとのこと。

    今もなぜバス停名が鶴田町のままなのかは不明ということです。

     

    わからないくらいのことなので、やはり、きっとこれまで特に利用に際して問題にならなかったのでしょう。

    ちょっと調べないとわからないこのおもしろいバス停の名前。

    ぜひ可能な限り残してほしいと思います。

    ※残念ながら、2016年「鶴田町」のバス停は廃止されました。

  • 【どこだぃな?シリーズ】「丁田町」

    【どこだぃな?シリーズ】「丁田町」

    いまいちどこなのかわからない町名。

     

    2つめは、

     

    「丁田町(ちょうだちょう)」

     

    地図で探すと、欠ケ下町の矢勝川挟んで反対側です。

     

    岩滑エリアって、矢勝川の北側は阿久比町っていうイメージがありませんでしたか?!

     

    矢勝川を超えても一部 半田市なんですね。

    chodacho1

    地図を見ると、岩滑では他に、岩滑北町なども一部 矢勝川を超えて阿久比町側に広がってるところもありました。

     

    行政区は川や道で分けることが多くありますが、田んぼの持ち主が矢勝川を挟んで両側で同じだったのでしょうか。

     

    現地へ行ってみました。

    chodacho2

    半田や常滑から阿久比へ抜けるときに地元民がよく使う道沿いです。

     

    阿久比町側から南を見たこの写真では、左奥に、南吉記念館となりのスーパーのフィール(最近エクボという店名になりました)が見えます。

     

    「丁田」は、「丁字路」と同じく丁字(T字)の田んぼ、というところからでしょうか。

    Yahoo!地図を見ると、着色された範囲は、確かに 丁 を上下逆にした形ですね。

     

    丁田町という地名は名古屋市名東区、西尾市にもありますが、航空写真を見ると、そちらは開発されて田んぼという雰囲気ではなさそうです。

    ということは、半田市丁田町は、まさに名前の通りの風景をとどめている「ザ・丁田町」ですね!

  • 【どこだぃな?シリーズ】「欠ケ下町」

    【どこだぃな?シリーズ】「欠ケ下町」

    半田に長らく住んでいても、いまいちどこなのか知らない町名を地図で見かけたことはありませんか?

    そんな町名のついた場所がどんなところか、実際に現地を探してきました。

     

    まず気になったのが、

     

    「欠ケ下町(かけがしたちょう)」

     

    地図で検索すると、岩滑(やなべ)にありました。

    kakegasitacho1

    先月きれいな300万本の彼岸花で真っ赤に染まった矢勝川沿いのようです。

     

    地図を頼りに・・・

    黒牛の里さん(焼肉の「半田店」の方)の裏側の砂利の駐車場横を入って、矢勝川へ向かい、藤井治療院さんを右手に通過し、土手を上がり、阿久比側にまりもファームさんを見た時に、矢勝川の向こう岸にややふくらんだ平たい河原があります。

    kakegasitacho2

     

    どうやらここが「欠ケ下町」の中でも一番広いところのようです。

     

    Yahoo!地図で「欠ケ下町」と検索すると、ひらがなの「つ」みたいなエリアが示されました。ちょうど土手沿いの低くなった河原部分でしょうか。

     

    “欠け落ちた下の場所”

    なんとなく文字イメージに合う気が…?

     

    全国的に区画整理が進んで、古い字名が記録と記憶から消えていきますが、残っている町名は財産ですよね。独特な響きのある字名はとくにその町の財産です。

     

    ところで、

    半田市HPに載っている投票区一覧にも、No.13岩滑(やなべ)投票区の中に「欠ケ下町」がちゃんと載っています。

    果たして、ここに住所登録のある方がどのくらいいるのか謎ですが…

     

    そして↑このページを見て、同様に「え?これどこ?」と思う町名ありませんか?

    もちろん現地を探しに行ってきました。

    次回をお楽しみに!

  • はざかけ

    はざかけ

    hazakake1

    収穫シーズン真っ只中の半田市の田んぼ。今日、市内の田んぼをぐるっと巡ってきました。

    この「はざかけ」を見つけられたのは、稲穂町、岩滑、緑ヶ丘、吉田町の4箇所でした。まだ収穫前の田んぼも多いとはいえ、想像以上に希少価値のある風景なんだなと思いました‼️

     「はざかけ」は、刈った稲を木で組んだ棚に掛けて1〜2週間干しておくことです。

    刈った稲を掛けておく木の棒を、米作りの盛んな北陸では「稲架(はさ)」と呼び、愛知あたりでなまって「はざ」になったんだそうです。

    今では収穫したお米は乾燥機で干すことが多いので珍しい光景になりつつあります。天日干しするとお米が甘くて美味しくなるそうで、食べ比べてみたいものです。

     

    今日の稲穂町の田んぼでは、まさにおじさんが、はざ掛けをするために、木槌で木をコンコン打って作業をされてました。

     

    半田市の小学校などでは市内の農家さんの協力で体験農業がされていて、田植え、稲刈り、はざかけ と体験しているお子さんもいるようです。毎日食べるお米だけに、ありがたみのある体験。

     

    半田市はお店や工場もたくさんあるけど、綺麗な田畑が広がってたり、牛がいたり。

    都会に憧れのある若い頃は「半田って中途半端だなぁ」と思ったものです。でも全国の都会や田舎を旅行してきたオトナになった今では、その中途半端さが半田の魅力だなと感じます。

    買い物帰りに少し散歩すると黄金色の田んぼに赤とんぼが飛んでるなんて、いいとこ取りです。

  • 成岩城(ならわじょう)

    成岩城(ならわじょう)

    青山駅の東、有楽町の低い丘の上にある「城の上住宅」のそばに、成岩城址の石碑があります。

    img_9699

    今は畑しかない場所ですが、昭和30年頃まで城の遺構が残っていたそうです。

     

    成岩城が造られたのは、今から約460年ほど昔の室町時代、1550年頃。上杉謙信や毛利元就がグイグイ来てる頃です。

     

    成岩城を造ったのは、となりまち常滑から来たお坊さんの榎本さん。

    彼は念仏を唱える時宗のお坊さんで、この辺りで信仰され、とても念仏が流行っていたようです。

     

    信仰の中心であった成岩、そのまちづくりの中心にあった成岩城は、当時の知多半島でブイブイ言わせていた東浦の緒川城の水野家に狙われてしまいました。(ボスは家康の叔父さん)

     

    成岩城ピンチ!!

     

    成岩城を狙う水野軍は、神戸川の北側の丘の上に成岩砦(ならわとりで)を作って陣を張りました。

    ※参考→ならわとりでがあった場所

    成岩の人々は、念仏を唱えながら成岩城を守って闘いました。

    でも、水野軍のスパイに周囲に火をかけられ、成岩城は陥落…

     

    成岩城主だった初代のお坊さんはどうなったかわかりませんが、新しい城主は水野家の家臣・梶川さんに替わり、その後時を経て、城そのものも姿を消しました。

    narawajo1

    この成岩城址の石碑の建つ丘に立ち、神戸川や成岩砦の方を眺めて、歴史に思いを馳せてみると、過ぎてきた時の長さ、スケールの大きさを感じ、その全てが今ここに立つ自分に繋がって行くような不思議な感覚になります。

    お散歩がてら、ぜひお出かけください。

    (車だと道が狭くて行きづらいので、徒歩か自転車がオススメです。)

  • 一年中飾られたしめ縄

    一年中飾られたしめ縄

    もう初夏ですが、半田市内では一年中、玄関先にしめ縄が飾られている家があることを、皆さん気にしたことがありますか?

     

    「その家、ただの面倒くさがりなんじゃないの?」

    いえいえ、決してそんなわけではありません。これが、「伝統的な半田スタイル」なんです。

    shimenawa1

    この写真は本日2014年5月25日現在の状況です。

    半田市南部を小一時間自転車で回ってみて、旧家エリアで数十軒程度しか見られなかったので、どうももはや古くからあるお家のみでしか見られないようですが、実はこれ、半田の風習がどこから来ているのかを示すおもしろい貴重な光景なんです!

     

    日本で、同じく一年中玄関先にしめ縄を飾っているのは、伊勢市周辺。

    詳細は割愛しますが、蘇民将来の信仰によるものなんだそうです。

     

    伊勢と言えば、幕末に全国的な伊勢信仰の対象地だったことは皆さんご存知だと思います。

    特に伊勢湾を挟んで、互いの土地が目に見える距離にある知多半島中南部では、伊勢に対する精神的な結びつきが感じられます。

    半田や常滑〜南知多町に至るまで、祭の時に伊勢音頭が唄われています。遥拝所もところどころにあります。

    しめ縄の飾り方も同じ文化圏で広まっているのでしょうか?

    皆さんのお宅はいかがですか?

    今後、知多半島中をのんびり調査してみたいと思います。皆さんも見つけたらぜひ情報をお寄せ下さい。

     

    ちなみに私自身、福井県から半田市亀崎のまちを視察に来られた方々が「なんでまだ飾ってるの?!」と驚かれていたのに、住民の方が普通に「この辺は伊勢の影響でね~」答えていたことで、初めて認識し、おもしろい!と思いました。

    住んでいると分かりませんよね。

     

    今年の正月飾りはもう燃やしちゃったよという方、来年からは「伝統的な半田スタイル」で、1年中飾ってみてはどうでしょうか?

Top